淡路坂

諸元

住所…東京都千代田区神田駿河台4丁目(101-0062)、神田淡路町2丁目(101-0063)
読み…あわじ
形態…
全No.…2
区No.…千2
区分…公道(区507)
別名…一口坂、相生坂、大坂
標識…区設坂説明タイプ(千A)
由来…周辺施設、人名
成立…〜江戸前期

標識

淡路坂
江戸時代、坂の上には鈴木淡路守の屋敷があったことから名付けられました。また、屋敷の道をはさんだ向かい側には太田姫稲荷がありましたが、別名の一口(いもあらい)稲荷にちなんで一口坂とも呼ばれていました。

つまり

坂の上に鈴木淡路守さんが住んでたから淡路坂。あとその向かいに一口稲荷があったから別名は一口坂。

注釈

【太田姫稲荷について】
太田姫稲荷は、江戸城外堀を掘るにあたり、江戸城内から移り鬼門の護り神となりました。中央線の開通に合わせて移転を行い、現在までお茶の水仲通り池田坂下の神田駿河台1-2-3に所在します。
ちなみに淡路町にある坂だから淡路坂ではなく、淡路坂がある町だから淡路町の順番です。
【相生坂について】
「相生」というのは、二つの枝や道、人生などが同じ場所から対になって2つ沿って続くことを示し、坂にも2つの坂が沿って並ぶ場所では「相生坂」とつけられることがあります。ここでは神田川対岸の相生坂が対の存在になります。このような地名は山陽新幹線の停車駅である相生駅などいくつかありますが、東京の相生坂の標識には、この相生の概念を説明していないものがとても多いです。いくら「相生の松」という言葉があるとはいえ、もう少し丁寧に説明してくれてもいいのではないかとも思ったりもするのですが、、

地図

写真

看板 その他

動画

参考文献(直接的に利用していなくとも、近い内容を掲載しているサイトを紹介している場合もあります。) :坂学会東京23区の坂道千代田区内の坂


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