男坂

諸元

住所…東京都千代田区千代田区神田駿河台1丁目(101-0062)、神田猿楽町2丁目(101-0064)
読み…おとこ
形態…階段
段数…73
全No.…6
区No.…千6
区分…公道(区407)
別名…駿河台男坂
標識…区設・坂説明タイプ(千A)
由来…比喩
成立…1924年

標識

男坂
江戸時代以来、猿楽町と駿河台の地であるこの一番はがけ地でもともと通路がありませんでした。
一九二四年(大正十三年)八月、震災復興事業で通路が作られました。同時期に、この坂と西側の屈曲した坂の二本が作られました。
直線的に上る坂のため「男坂」と名付けられ、西側の緩やかな坂は「女坂」と名付けられました。
男坂(旧/千B)
この坂を男坂といいます。駿河台二丁目十一番地の端から猿楽町へ下る石段の坂「女坂」に対して名付けられたものです。
この坂のできたのも比較的新しく, 大正十三年(1924)八月政府による区画整理委員会の議決により作られたものです。男坂は同一場所, あるいは並行してある坂の急な坂を, 女坂はゆるやかな坂というように区別されて名づけられています。
昭和五十年三月 千代田区
引用:坂学会

つまり

震災復興期に駿河台に新たに増設された坂2本について、険しくまっすぐ登る方を男坂、曲がりながらちょっとゆるく登る方を女坂と名付けた。

注釈

神社等でまっすぐ急な坂を「男坂」、曲がりながらゆるやかに上る坂を「女坂」と呼ぶことが多くあります。
しかし、ここに関しては神社等は関係なく、震災復興期ごろの区画整理に伴って造成されたものです。

【女坂の看板の説明】
江戸時代以来、猿楽町と駿河台の地であるこの一番はがけ地でもともと通路がありませんでした。
一九二四年(大正十三年)八月、震災復興事業で通路が作られました。同時期に、この坂と東側の直線的な坂の二本が作られました。
途中に二ヶ所のの踊り場を設けた緩やかな坂のため「女坂」と名付けられ、直線的に上る急な坂は「男坂」と名付けられました。

地図



写真

動画



参考文献(直接的に利用していなくとも、近い内容を掲載しているサイトを紹介している場合もあります。) :坂学会東京23区の坂道千代田区内の坂


inserted by FC2 system