新坂(永田町)
諸元
住所…東京都千代田区永田町2丁目(100-0014)
読み…しん
形態…坂
全No.…41
区No.…千41
区分…公道(区163)
別名…遅刻坂
標識…区設坂説明タイプ(千A)
由来…比喩
読み…しん
形態…坂
全No.…41
区No.…千41
区分…公道(区163)
別名…遅刻坂
標識…区設坂説明タイプ(千A)
由来…比喩
標識
新坂 江戸時代には江戸城の外堀があったため、この道はありませんでした。一八八四年(明治十七年)に参謀本部が作成した地図では、溜池の方へ下る現在の形に近い道が確認できます。外堀と溜池の埋め立てで、新しく出来た坂道ということから名付けられました。すでに明治三十年頃には新坂と呼ばれていました。 |
つまり
新しい坂だから新坂。
注釈・解説
以前の標識には、日比谷高校の門の前にそびえたつために「遅刻坂」という別名もあるということが記されていたようです。学校の前にそびえる坂を「遅刻坂」と呼ぶ例は全国にあります。また、日比谷高校の生徒は本当に遅刻坂と呼んでいるそうです。なお、利用する駅によってはこの坂は通学路に該当しません(永田町駅からは三べ坂)。
地図
写真
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動画
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