三年坂(霞が関)
諸元
住所…東京都千代田区霞が関3丁目(100-0013)
読み…さんねん
形態…坂
全No.…27
区No.…千27
区分…公道(区148)
別名…なし
標識…区設坂説明タイプ(千A)
由来…逸話、伝説
読み…さんねん
形態…坂
全No.…27
区No.…千27
区分…公道(区148)
別名…なし
標識…区設坂説明タイプ(千A)
由来…逸話、伝説
標識
三年坂 潮見坂の南にあり、裏霞が関と三年町の間を通っています。別名を淡路坂、陶山が関ともいいます。 かつては坂上の道路が湾曲していたことにちなみ栄螺尻(註:さざえしり)、または周辺に鶯が多かったことから鶯谷という別名もあったようです。 |
つまり
この坂で転ぶと3年で死ぬという伝説から。
注釈・解説
標識では三年坂という名前に関する説明が完全に抜け落ちているので補足します(三年町は三年坂のある町だから三年町という因果関係です)。東京には多くの三年坂があり、これらは寺社仏閣の近くにあることが特徴です。江戸時代には、転ぶことで向こうの世界に連れていかれるといった迷信がありました。三年坂の由来は、転んだら三度土を舐めて仏に安泰を祈願しなければならないということから"三念坂"とも、転んだら三年で死ぬから"三年坂"とも言われています。
江戸時代の霞が関周辺は大名屋敷でぎっしりと埋まっていますが、徳川家の江戸入府以前、このあたりは大寺院や墓地が占めていたようです。
江戸時代の霞が関周辺は大名屋敷でぎっしりと埋まっていますが、徳川家の江戸入府以前、このあたりは大寺院や墓地が占めていたようです。
地図
写真
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動画
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